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2013年11月03日
ドラゴは優しい顔になったね。


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ミロっちは・・・泣きすぎだよw


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作品の制作にあたり、ご依頼者さまがブログをお持ちのことも多く、
イメージを読み取るためにも、遡って拝読させて頂くことがあります。
虹の橋へと旅立ったコのお話を伺うことも多く、様々な想いが巡ります。。

今回、アプリンちゃんの製作にあたりブログを読ませて頂いて、
我が家の初代ゴールデンレトリバー ガウディとのことが思い出されました。
ガウディとの出会いがなければ、なにも始まりませんでした。
以下、長い長い自己紹介のようなものだと思って、お付き合いくだされば幸いです。

12年前の写真です。

我が家の初代ゴールデンレトリバー ガウディ。


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私の実家は両親共に大変なきれい好きで、父が犬嫌いということもあり、犬も猫も動物を飼うことは許されませんでした。結婚してから初めて飼った犬が、ゴールデンレトリバーのガウディでした。ガウディは友人の知り合いのブリーダーのところで、繁殖の子返しとして生後6ヵ月まで残っていた仔犬でした。夫の実家では、夫が子供の頃から何代も犬を飼っていましたが全て外犬で、室内で飼うのは初めてということもあり、6ヵ月からの大型犬のトイレトレーニングは初心者には荷が重く、その頃私は会社勤めをしていた為、家で仕事をしている夫が必然的にガウディの世話をすることになり、夫は完璧を求める性格なあまり育犬ノイローゼのような状態になったこともありました。

ガウディは社会化も出来ていなかったので他の犬には怒られてばかり、人は好きだけど興奮しすぎて必ず嬉シッコを漏らし、車に乗せるとこれも興奮して必ずウンチを漏らして踏み踏み。。ちょっと留守番させるとご飯を食べないストライキを起こしたり、皮膚病が治らなくて何ヶ月も病院に通い、ラム肉を毎日茹でた日々。ご飯を食べないことも度々あり、そのつど病院に連れていっても異常は見つからず、獣医師には単に食べたくないだけでしょうと言われ、3日も食べないこともありました。
10年以上前の田舎のことですから、躾教室などなくて自己流で躾を入れて、とにかく経験を積ませてみようとレトリーバークラブの行事に参加してみたりもして、ようやくガウディとの暮らしが楽しいものへとなっていた頃、これなら一緒に旅行にも行けるねと話していた矢先のことでした。

ある日、夫の仕事場で過ごしているときに久しぶりにお漏らしをしたガウディ。その前の2日ほどご飯を拒否していて、最初はまたかとも思っていたのですが、飲んだ水まで全部吐き出し明らかに様子が変。。それまで通っていた病院は遠方なうえに、皮膚病と食欲不振の件であまり納得のいく解答を頂けなかったという思いがあって行く気にならず、新しく市内に出来たばかりの動物病院へと連れていきました。

病院へ着くとガウディはお愛想全開で尻尾ふりふり。全く病犬には見えず、レントゲンを撮ると胸水が溜まっているということ。点滴をしてもらい家に帰ると、玄関でお漏らし。飲んだ水もまた吐いてグッタリ。翌日また病院へ連れていくと、レントゲンには写らない竹串のようなものを食べた可能性を問われましたが、ガウディは拾い食いどころかオヤツでさえ他人からもらっても、ぺっと吐き出して食べないコでしたから、それは絶対にないと全否定しました。
原因はわからないまま入院して様子をみることになりました。開院前におられた病院の院長先生にも相談してくださり、レントゲンも見てもらいましたが所見は同じ。当時は病院にはCTが無かったので最悪は手術で開いてみるしかないということでした。

入院後は胸水も減っていき、一週間後には、このぶんなら明日の朝レントゲンを撮ってみて水がなくなっていたら退院出来ると言われ、翌日は土曜日、ガウディが帰ってくると信じきって朝から上機嫌で洗車をしていた夫を残し、私ひとりで病院へと迎えに行きました。すると全く予想もしていなかったことを告げられました。朝レントゲンを撮ったら胸水は無くなっていたが、今度は腹水が溜まっているというのです。すぐに手術しないと手遅れになると。手術は開院前にいた病院にお願いして診療時間後にやってもらうことになりました。それが12月30日。

なにがどうなってそうなったのかサッパリ解らないまま、家に帰って夫に説明。夕方、夫とふたりで手術をしてもらう病院へ行き、尻尾ふりふり一見元気そうにみえるガウディに、頑張ってくるんだよ~と声を掛け送り出すと、嬉しそうに看護士さんについて振り返りもせずに手術室へと入っていきました。麻酔のリスクもあるとはいえ、これが最後になるとはこのときもまだ思ってはいませんでした。なので、手術が始まってから15分もしないうちに先生が出てきて、そのことを告げられたときには耳を疑いました。血管肉腫でした、と。

お腹を開いてみたら手がつけられないほど腫瘍がびっしりでしたと言われても、この目で見ないことには到底信じられなかったので手術室に入り見せてもらいました。手術台に仰向けでお腹を開かれたガウディの内臓には小豆大かにクルミ大まで大小様々な腫瘍がいっぱいでした。血管の通る全ての臓器という臓器に。これは駄目だと思いました。これはもう、どうしようもないということを医学には全く知識のない素人でも一瞬で悟ることが出来ました。

どうしますか?との問いに、夫は選択権を私に一任しました。私は安楽死を選択しました。これには賛否両論あるでしょう。実際、後になって夫から、もう一度目を覚ましたガウディとお別れをしたかったと言われました。私がそちらを選ぶとは思いもしなかったと。一晩中話し合い、私の思いを理解してもらうことが出来ました。私はガウディにこれ以上苦しい思いをさせたくありませんでした。麻酔が覚めて家に帰れたとしてもご飯やオヤツどころか水さえ飲めず、しかもお腹には手術の大きな傷。苦しいばかりか痛みまで抱えて残された僅かな日々を過ごさせることが果たしてガウディの為なのか。最後のお別れがしたいというのは、こちら側の想いであって、ガウディに苦しい思いを続けさせてまで望むことではないのではないかと。お別れ=気持ちの整理とするなら、これより先はガウディではなく夫と私が苦しいだけのこと。そのほうがずっとマシだし思いました。
最後にみたガウディは元気そうにバタついて看護士さんに構ってもらってはしゃいで浮かれて嬉しそうで。そんな楽しい気持ちのまま麻酔で眠りについたのなら、そのまま安らかに眠らせてあげたいと思いました。

そうはいっても病院の外に出た途端、大声で号泣。想像もしない事態に胸が痛く呼吸をするのも苦しく、大人になってからこんなに泣くことがあるなんて思いもしませんでした。翌日の大晦日には大雪が降りました。お骨になったガウディを抱えて帰った後、お正月中ずっと夫婦二人して寝込みました。

病院側としては、二歳半というガウディの年齢から癌は疑っておらず、開けたら絶対に竹串かなにかが出てくると予想していたそうです。手術より前に病気の確定が出来ていれば、無意味となった手術などしなかったのにと悔やまれてなりませんでしたので後で調べてみましたが、この頃にはまだ犬の若年での血管肉腫の症例は他に無く、致し方ないことだったと納得もしました。ギリギリまで元気だったとはいえ、なにかしら異変に気付いてあげられなかったのかと悔やみもしましたが、病理検査の結果からも進行性の早い癌で発病は一ヶ月前後だろうということでしたから、どちらにしても寿命自体には差はなかったというのも自分たちを納得させる材料になりました。
こうして改めて文字にしている今でも、あのときのことを思い返せば涙ボロボロ・・隣にはティッシュの山が出来ております。。

夫と私はもう16年ほどの間、思うところあって毎月出雲大社に御参りをしています。毎月目標を立て決意表明をしてお願いをして帰るわけですから翌月には御礼に行かないわけにはいかず・・・それが毎月の行事となっているのですが、特に信心深いわけではありません。気持ちをリセットする儀式みたいなものです。信仰しているとすれば八百万の神様でしょうか。すべてのものに神様が宿っているという考え方が好きです。ガウディが亡くなって最初に行った御参りで、初めて参道を歩くゴールデンレトリバーに出会いました。それまで何年も月参りをしているのにゴルに出会ったことは一度たりとなかったというのに。とても声を掛けることは出来ず、ただただ涙が溢れました。

あのとき感じたのは、神様がいたとしても決して酷いことや凄いことが出来る力があるわけではなくて、神様に干渉出来ることはきっと、このくらいのことなのかな、と。それでもちゃんと見ていてくださっていて、何かちょっした目印みたいなものを示してくれているのではないのかな、と。そして、ここでこのタイミングでゴルに出会うこと、それが福音ではないのかと。あれから現在までの十年以上の間にも三回ほどしかゴルに出会ったことはありません。そのくらいの確率です。おかしなことを口走っていると思われる方はペットロス故の妄想だと思ってスルーしてくださいませ。

その後、ガウディを失い二度と犬は飼わないと宣言した夫でしたが喪失感に耐え切れず、四十九日を待って、ゴールデンの仔犬を探し始めました。今度は二頭。もし一頭になにかあっても倒れてなんかいられないようにと。そうして我が家にやってきたのがドラゴとグエルの兄弟犬でした。

今度は、三歳になって落ち着いたら~なんて悠長なことは言わず、やり残したことなどないよう何処へでも連れていきたいと、夫は躾の勉強を始めました。我が家の目標は、もし私達家族がいなくなっても誰にでも問題なく飼ってもらえる犬に育てること・・になりました。最悪な事態にも備えて出来ることは全てやる。それが命に対して最後まで責任を持つということではないかと考えるようになりました。

その後ドラゴとグエル共に優良家庭犬にも合格し、夫は本業とは別にトレーナーとして動物病院でパピー教室のボランティアを始め、地域の困っておられる飼い主さんから相談を受けたりするようにもなりました。ドッグトレーニングの勉強で夫の師匠になる先生から小型犬を理解する為にとチワワを薦められミロを迎えま、大型犬とはまた違う面白さも知りました。縁あって家族になったワンコです。生涯飼育と、その為の幸せなドッグライフを送ってもらいたい。どんなに生きていてほしいと願っても失われる命もあるのですから。

ドラゴとグエルの癌治療にも、今度こそ悔いのないようにと出来る限りのことをしてきました。全くお金持ちなどではありませんが自分達の老後の心配には目を瞑り、高級外車が買えるくらいの治療費をつぎ込みました。その甲斐あってドラゴが頑張ってくれているので、これは現在進行形です。グエルの最後は家で夫と二人で看取ることも出来ました。ガウディにしてあげたくて出来なかったことを、グエルには全てしてあげられたと思います。

ガウディの写真は、普及し始めたばかりの画質の荒いデジカメのもので少ししか残っていなくて、それも後悔のひとつでした。ドラゴとグエルを迎えてからデジイチを買いたくさんの写真を撮るようになり、せっかくだから何かの形にして残したいと思うようになり、それが画像加工を始める切欠となり、今のいぬのえ工房Familiaへと繋がっていくことにました。

来月23日はグエルの1回目の、30日はガウディの11回目の命日がやってきます。
ガウディの生涯はたったの二年半。我が家にいたのは二年だけでしたが、それまでの生活の全てを変える二年でした。ガウディが残してくれたものはひとつも無駄にはしなかったとガウディに胸を張って報告出来るようこれからも頑張って、そしてなにより楽しんでいきたいと思います。

最後まで、長駄文にお付き合いくださりありがとうございました。




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☆うちのコ達の闘病生活・想い出☆ | Comments(0) | Trackback(0)
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