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空と海との境界線?

新しい車のNAVIが すこーし おバカさんで
すこーし バズしてくれます。
地図上では 畑のなかとか 海のうえとか 走ってます。
自分の家からして 間違えてます。
いつか 自分から 気付いてくれるのでしょうか?

因みに写真は 海ではなくて 湖です。
二年に渡って通い続けた行動分析学のセミナーが、先日最終回でした。
私の文章力では到底説明しきれないので、内容は書けませんけれど、
講師の先生がなにを言いたかったのかってことだけ、私の解釈で書きます。
あくまで、ざっくりですが。
今ではすっかりメジャーとなった「陽性強化」という言葉。
もともとは心理学のオペラント条件付けの中の「正の強化」のことを「陽性強化」と訳したことで、その言葉の持つイメージから、「褒める躾」=「陽性強化」と広く認識されてしまった。
その結果、「強制訓練」とは反対の躾方法という位置づけで、「陽性強化」と謳い文句にしているトレーナー、しつけ教室が氾濫。
「正の強化」=「褒めること」や「オヤツを使うこと」ではないのに、「褒めて躾ける教室」に通っているのに行動が良くならない、とか、オヤツがないとやらない、といった問題が囁かれるようになった。
そのせいでまた、「やっぱり罰は必要」という揺り返しの波がきている。
ここでいう罰とは、「嫌悪刺激」のこと。
解り易い「嫌悪刺激」による劇的な変化は、与える側に快感をもたらす。
それが何故よくないのかというと、「嫌悪刺激」=「叱ること」と認識されている中で、「叱る」という行為は、それが効かなくなるとエスカレートしていくから。
そこでまた混同されがちなのが、「褒める=強化」「叱る=罰」だと認識している人の多いこと。
行動分析学では、「行動が増えた状態」のことを「強化」、「行動が減った状態」のことを「罰」と呼び、行動が増えたのか減ったのかで、強化なのか罰なのかが決まる。
環境を操作することで、行動がどれほど変化したかを記述することによって、行動の原理や法則を導き出し、それによって行動の予測と制御が可能になり、問題行動の解決に応用しようという学問。
行動分析学はあくまで、躾の方法論ではない ということ。
(注:ここでいう行動分析学には、臨床動物行動学は含みません)
犬の心理や気持ちなんて、誰にも解らない。
それが解るというなら、人間社会でいうところの、占い師か霊能者。
不安やストレスが原因、信頼関係がないから、犬がリーダーになりたいから、飼い主に魅力がないから・・・
そういった、人の想いが介在する為に問題の本質を見誤ってしまうのだと。
「人間が想像する犬の内面」ではなく、「実際に起きている目の前の行動」を客観的に見てほしいということ。
「褒めて躾ける」ということは、「褒めただけで変わる」のではなく、「褒めただけで変わる工夫をたくさんする」ということ。簡単に罰(嫌悪刺激)を与えるという手段に逃げ込まないために。
何故なら、罰はエスカレートしやすいものだから。結果、正しく伝わらなければ、ただの虐待でしかなくなる。しかしそこに陥っている間は、そのことに気がつかないのだと。
それはとても怖いことなのだと。

新しい車のNAVIが すこーし おバカさんで
すこーし バズしてくれます。
地図上では 畑のなかとか 海のうえとか 走ってます。
自分の家からして 間違えてます。
いつか 自分から 気付いてくれるのでしょうか?

因みに写真は 海ではなくて 湖です。
二年に渡って通い続けた行動分析学のセミナーが、先日最終回でした。
私の文章力では到底説明しきれないので、内容は書けませんけれど、
講師の先生がなにを言いたかったのかってことだけ、私の解釈で書きます。
あくまで、ざっくりですが。
今ではすっかりメジャーとなった「陽性強化」という言葉。
もともとは心理学のオペラント条件付けの中の「正の強化」のことを「陽性強化」と訳したことで、その言葉の持つイメージから、「褒める躾」=「陽性強化」と広く認識されてしまった。
その結果、「強制訓練」とは反対の躾方法という位置づけで、「陽性強化」と謳い文句にしているトレーナー、しつけ教室が氾濫。
「正の強化」=「褒めること」や「オヤツを使うこと」ではないのに、「褒めて躾ける教室」に通っているのに行動が良くならない、とか、オヤツがないとやらない、といった問題が囁かれるようになった。
そのせいでまた、「やっぱり罰は必要」という揺り返しの波がきている。
ここでいう罰とは、「嫌悪刺激」のこと。
解り易い「嫌悪刺激」による劇的な変化は、与える側に快感をもたらす。
それが何故よくないのかというと、「嫌悪刺激」=「叱ること」と認識されている中で、「叱る」という行為は、それが効かなくなるとエスカレートしていくから。
そこでまた混同されがちなのが、「褒める=強化」「叱る=罰」だと認識している人の多いこと。
行動分析学では、「行動が増えた状態」のことを「強化」、「行動が減った状態」のことを「罰」と呼び、行動が増えたのか減ったのかで、強化なのか罰なのかが決まる。
環境を操作することで、行動がどれほど変化したかを記述することによって、行動の原理や法則を導き出し、それによって行動の予測と制御が可能になり、問題行動の解決に応用しようという学問。
行動分析学はあくまで、躾の方法論ではない ということ。
(注:ここでいう行動分析学には、臨床動物行動学は含みません)
犬の心理や気持ちなんて、誰にも解らない。
それが解るというなら、人間社会でいうところの、占い師か霊能者。
不安やストレスが原因、信頼関係がないから、犬がリーダーになりたいから、飼い主に魅力がないから・・・
そういった、人の想いが介在する為に問題の本質を見誤ってしまうのだと。
「人間が想像する犬の内面」ではなく、「実際に起きている目の前の行動」を客観的に見てほしいということ。
「褒めて躾ける」ということは、「褒めただけで変わる」のではなく、「褒めただけで変わる工夫をたくさんする」ということ。簡単に罰(嫌悪刺激)を与えるという手段に逃げ込まないために。
何故なら、罰はエスカレートしやすいものだから。結果、正しく伝わらなければ、ただの虐待でしかなくなる。しかしそこに陥っている間は、そのことに気がつかないのだと。
それはとても怖いことなのだと。
先日、スーパーで買い物中に、見ず知らずのお婆さんから、
「ブロッコさん食べなさい!」といって、ブロッコリーをカゴに放り込まれました。
確かにその日、ブロッコリーは特売だったし、残りはあと二つだったし、
買っても全然よかったんだけど・・・
まぁ、戻す理由もないから、結果、そのまま買って帰ったのだけど・・・
ただねぇ・・・
私ってそんなにブロッコリーが足りてない顔してる?という問いに対して、
夫や友人からは、全てのエネルギーが足りてなさそうなんだという回答が。。
(;一_一)
ブロッコわん☆

私はあまり『食』に対しての『欲』が薄くて、これには子供時代の経験が深く関わっているのだけど、現在活動出来る最低限の食事をなんとか摂れているのは、夫がいるから仕方なく・・・というところが大きい。一人暮らしだったらカロリーなんとかとか一日分の野菜なんたらで終わり。それでは体に良くないことは理解もしているのだけれど、自分自身のことだけに限ってしまうと、気持ちが『食』へとはどうしても向かなくなる。つまり私の食生活は、日常的に食事を用意しなくてはいけない相手若しくは用意してくれる相手がいるという環境が整っているからこその自発的行動で補われている。ちゃんと食べなさいと怒られたところで好きになるというものではなく、嫌々食べても身にはつかないものらしい。。
なんの為に、自分以外の誰かと共に生きて行くのかと考えたとき、互いの足りない部分を補いあって満たされる為だとすると、どちらか一方にだけ完璧を求めるものではなく、それはきっと犬に対しても同じことなんじゃないのかな、と。
克服することばかりに心を囚われず、環境を整えることで補い合える方法を、人は考え学ぶことが出来るのだもの。
「ブロッコさん食べなさい!」といって、ブロッコリーをカゴに放り込まれました。
確かにその日、ブロッコリーは特売だったし、残りはあと二つだったし、
買っても全然よかったんだけど・・・
まぁ、戻す理由もないから、結果、そのまま買って帰ったのだけど・・・
ただねぇ・・・
私ってそんなにブロッコリーが足りてない顔してる?という問いに対して、
夫や友人からは、全てのエネルギーが足りてなさそうなんだという回答が。。
(;一_一)
ブロッコわん☆



私はあまり『食』に対しての『欲』が薄くて、これには子供時代の経験が深く関わっているのだけど、現在活動出来る最低限の食事をなんとか摂れているのは、夫がいるから仕方なく・・・というところが大きい。一人暮らしだったらカロリーなんとかとか一日分の野菜なんたらで終わり。それでは体に良くないことは理解もしているのだけれど、自分自身のことだけに限ってしまうと、気持ちが『食』へとはどうしても向かなくなる。つまり私の食生活は、日常的に食事を用意しなくてはいけない相手若しくは用意してくれる相手がいるという環境が整っているからこその自発的行動で補われている。ちゃんと食べなさいと怒られたところで好きになるというものではなく、嫌々食べても身にはつかないものらしい。。
なんの為に、自分以外の誰かと共に生きて行くのかと考えたとき、互いの足りない部分を補いあって満たされる為だとすると、どちらか一方にだけ完璧を求めるものではなく、それはきっと犬に対しても同じことなんじゃないのかな、と。
克服することばかりに心を囚われず、環境を整えることで補い合える方法を、人は考え学ぶことが出来るのだもの。
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