pickles

ミロVSエッシャー
喧嘩するほど仲がいい・・という遊び。


シャーシャーいいながらも、
いつも傍にいる不思議なふたり。

改めて、この場で書くのは初めてですが、
私の夫は、趣味で犬のトレーニングの勉強をしています。
思うところが多々あって、、ですが。。(本業は全く関係なく)
人に教えられる資格も取得していますので、
月に二回、ボランティアで子犬の躾方教室を開催し、
私も微力ながらお手伝いさせて頂いております。
親が我が子の命すら簡単に奪う時代、
「犬猫どころじゃないだろう」・・・ですか?
人の心が貧しいとき
その不満は、自分より立場の弱い者へと向けられるもの。
こんな時代だからこそ、
誰に恥じることなく、自分の信じる道に向かって、
真っすぐ立っていたいじゃないですか!
なので、たまには語っちゃいます。
「たかが犬」のことですが。
ここから先は、ブラックkenkenが書いておりますので、
「されど犬」と思われる方のみ、つづきをどうぞ。
躾教室は、動物病院の待合室を借りている。
病院が昼休憩の時間内に、
初めて参加する子犬を対象にしたパピーパーティを、
夕方、診療時間が終ってからは、
子犬の社会化を中心に、1時間のパピー教室をしている。

それは先週末のパピー教室でのこと。
途中、急患が運ばれてきた。
動物病院という場所柄、
こういうことは、まぁ想定の範囲内なのだけど、
取り乱した飼い主さんが、
中型犬を抱きかかえ、号泣しながら駆け込んで来られた。
勿論、時間外だが、教室がある為、院長が残っている。
「今、車に撥ねられたんです」
犬の顔が見えた。
素人目にみても明らかに、既に息がないのが解る。
夫も私も、毎週のように動物病院に入り浸っている為、
今までも、こういう場面に出会うことは何度もあった。
血まみれだったり、腸が出ていたり。。
なのでまぁ、良く知った犬なら兎も角、
「あーーー可哀想に、犬がね」くらい反応薄いのだけど、
このときは、パピー教室の真っ最中。さて。。
今回参加されていた飼い主さん達は皆、犬リピーターではなく、
ほぼ初めて犬を飼ったという人達ばかりだった。
当然、犬の死に目になど遭ったことがないであろう人達。
基本、家族全員参加型なので、子供達も一部始終を見ている。
見渡すと、皆なんとも言えない顔をされている。
まぁ、それが普通でしょうけど。笑ってたらそれ以前の問題だし。
タイムリーなことに、
今回のテーマは「犬を落ち着かせること」
ちょうど、「犬を落ち着かせてクレートから出す」
絶対に、「扉を開けてすぐに飛び出させない」
これは犬の安全の為云々と、説明している最中だった。
急患の犬は、救命措置を施すにさえ至らず、
泣きながら帰って行かれた飼い主さんには申し訳ない話だが、
「こういうことがあるからこそ、キチンと管理しましょうね」
「後で泣いて後悔したって、なんにもなりませんからね」
という教材にさせて頂いた。
このタイミング。あのコの最後の姿が何か伝える為だとしたら、
決して無駄にしたくはない。
車に轢かれたのは、不運なんかじゃない。
相手が歩道に突っ込んできたとか、信号無視等でもなければ、
車もドライバーも悪くない。
「もっと早く気づいてくれたら」なんてのは、逆恨みもいいとこ。
車を運転する者の立場から言わせてもらえば、
「んなもん止まれるか、下手に避けたらこっちが死ぬわ」
というか、「この車、どうしてくれんの?縁起悪っ」くらいな話。
家や車の中から飛び出して、、
散歩中、リードから手を離して、、
それらはすべて、飼い主の管理責任だもの。
亡くしたショックや失った悲しみばかりではなく、
きっと、後悔と懺悔の念もあるのだろうから、
泣く権利なんてない、、とまでは流石に言わないけれど、
決して、他人事ではないってことを学んで欲しいと願う。
だって、泣くほど大切だったんでしょう?違うの?
死んでしまったら、それはもう仕方がなかったことなの?
それで済むことなの?
「ステイ」や「ヒール」も、どこかで発表する為のものじゃない。
日々、命を繋ぐために身につけるべきものだと思ってやってきた。
たとえ不注意で犬が離れてしまったとしても、
「ストップ」や「カム」が入っていれば、呼び戻すことも出来る。
だからこそ、トレーニングに終わりはない。
技術を教えるてはいるけれど、伝えたいのは、あくまでも姿勢。
犬と向き合う気持ちの在り方だったりする。
そして、その生涯において責任を持つとはどういうことか。
「まさかうちの犬が?!」と思うようなハプニングが起きて、
それで命を落とした犬を目の当たりにして、それでも尚、
「うちの犬はダメ犬だから」と笑っていられるのか?ということ。
それってつまりは、
「あなたの管理がダメだから」ということに他ならないのに。
因みに、何度犬が車に轢かれても、学ばない人もいる。
事故で死んだと言うけれど、ちゃんちゃら可笑しい。
あなたが殺したんでしょ、、と面と向かって言わないのは、
なにを言っても無駄と、もう見限っているからなのに。
こういう人には、泣く権利すらないと思う。
涙線にキュウリ突っ込んで塩揉みしてやりたいくらい、、、
ではあるけれど、私の美しい手が青臭くなるのは御免ですから。
私ももうすこし、
毒抜きしてもらったほうがいいかもしれないのだけど。。
皆生温泉の塩湯にでも浸かってきましょうか。
ああ、でもお盆は混んでるんだった。。
追記
「危ないから散歩には行かない」という飼い主さんもいるらしいが、
それこそ本末転倒。
自らの努力を怠って、犬本来の喜びと可能性を奪っているに過ぎない。
狭い世界で、ただ食べて寝て、ひたすら飼い主を待つだけの生涯。
「飼う」という表現にピッタリではあるが、
「共に暮らす」とは、そういうことじゃないだろう、と思う。
病院が昼休憩の時間内に、
初めて参加する子犬を対象にしたパピーパーティを、
夕方、診療時間が終ってからは、
子犬の社会化を中心に、1時間のパピー教室をしている。

それは先週末のパピー教室でのこと。
途中、急患が運ばれてきた。
動物病院という場所柄、
こういうことは、まぁ想定の範囲内なのだけど、
取り乱した飼い主さんが、
中型犬を抱きかかえ、号泣しながら駆け込んで来られた。
勿論、時間外だが、教室がある為、院長が残っている。
「今、車に撥ねられたんです」
犬の顔が見えた。
素人目にみても明らかに、既に息がないのが解る。
夫も私も、毎週のように動物病院に入り浸っている為、
今までも、こういう場面に出会うことは何度もあった。
血まみれだったり、腸が出ていたり。。
なのでまぁ、良く知った犬なら兎も角、
「あーーー可哀想に、犬がね」くらい反応薄いのだけど、
このときは、パピー教室の真っ最中。さて。。
今回参加されていた飼い主さん達は皆、犬リピーターではなく、
ほぼ初めて犬を飼ったという人達ばかりだった。
当然、犬の死に目になど遭ったことがないであろう人達。
基本、家族全員参加型なので、子供達も一部始終を見ている。
見渡すと、皆なんとも言えない顔をされている。
まぁ、それが普通でしょうけど。笑ってたらそれ以前の問題だし。
タイムリーなことに、
今回のテーマは「犬を落ち着かせること」
ちょうど、「犬を落ち着かせてクレートから出す」
絶対に、「扉を開けてすぐに飛び出させない」
これは犬の安全の為云々と、説明している最中だった。
急患の犬は、救命措置を施すにさえ至らず、
泣きながら帰って行かれた飼い主さんには申し訳ない話だが、
「こういうことがあるからこそ、キチンと管理しましょうね」
「後で泣いて後悔したって、なんにもなりませんからね」
という教材にさせて頂いた。
このタイミング。あのコの最後の姿が何か伝える為だとしたら、
決して無駄にしたくはない。
車に轢かれたのは、不運なんかじゃない。
相手が歩道に突っ込んできたとか、信号無視等でもなければ、
車もドライバーも悪くない。
「もっと早く気づいてくれたら」なんてのは、逆恨みもいいとこ。
車を運転する者の立場から言わせてもらえば、
「んなもん止まれるか、下手に避けたらこっちが死ぬわ」
というか、「この車、どうしてくれんの?縁起悪っ」くらいな話。
家や車の中から飛び出して、、
散歩中、リードから手を離して、、
それらはすべて、飼い主の管理責任だもの。
亡くしたショックや失った悲しみばかりではなく、
きっと、後悔と懺悔の念もあるのだろうから、
泣く権利なんてない、、とまでは流石に言わないけれど、
決して、他人事ではないってことを学んで欲しいと願う。
だって、泣くほど大切だったんでしょう?違うの?
死んでしまったら、それはもう仕方がなかったことなの?
それで済むことなの?
「ステイ」や「ヒール」も、どこかで発表する為のものじゃない。
日々、命を繋ぐために身につけるべきものだと思ってやってきた。
たとえ不注意で犬が離れてしまったとしても、
「ストップ」や「カム」が入っていれば、呼び戻すことも出来る。
だからこそ、トレーニングに終わりはない。
技術を教えるてはいるけれど、伝えたいのは、あくまでも姿勢。
犬と向き合う気持ちの在り方だったりする。
そして、その生涯において責任を持つとはどういうことか。
「まさかうちの犬が?!」と思うようなハプニングが起きて、
それで命を落とした犬を目の当たりにして、それでも尚、
「うちの犬はダメ犬だから」と笑っていられるのか?ということ。
それってつまりは、
「あなたの管理がダメだから」ということに他ならないのに。
因みに、何度犬が車に轢かれても、学ばない人もいる。
事故で死んだと言うけれど、ちゃんちゃら可笑しい。
あなたが殺したんでしょ、、と面と向かって言わないのは、
なにを言っても無駄と、もう見限っているからなのに。
こういう人には、泣く権利すらないと思う。
涙線にキュウリ突っ込んで塩揉みしてやりたいくらい、、、
ではあるけれど、私の美しい手が青臭くなるのは御免ですから。
私ももうすこし、
毒抜きしてもらったほうがいいかもしれないのだけど。。
皆生温泉の塩湯にでも浸かってきましょうか。
ああ、でもお盆は混んでるんだった。。
追記
「危ないから散歩には行かない」という飼い主さんもいるらしいが、
それこそ本末転倒。
自らの努力を怠って、犬本来の喜びと可能性を奪っているに過ぎない。
狭い世界で、ただ食べて寝て、ひたすら飼い主を待つだけの生涯。
「飼う」という表現にピッタリではあるが、
「共に暮らす」とは、そういうことじゃないだろう、と思う。
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